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特集記事

2026.06.30

鈴木 絢大「これまでの歩み」

グレコローマンスタイルで全日本選手権通算5度の優勝を誇り、ドイツのプロリーグでも活躍した鈴木 絢大。怪我や挫折を乗り越えながら、今もマットに立ち続ける彼のこれまでの歩みと競技への想いをご紹介します。

5歳で出会ったレスリング

 

レスリングを始めたのは、5歳のときです。きっかけは2歳上の兄でした。兄の同級生がレスリングをやっていて、一緒に見学に行ったのがはじまりです。最初に行ったクラブは雰囲気が合わなかったのですが、2番目に見学したクラブが体操教室みたいな感じで、バランスボールで遊んだりタックル人形に当たったりするのが楽しくて、兄と一緒に始めました。

始めたころは「辞めたい」と思うこともありましたが、母親が練習の送り迎えから遠征まで、いつも支えてくれました。続けさせてくれたおかげで今の自分があると思うと、感謝しかありません。小学生のころはレスリングでなかなか勝てない日々でしたが、それでも「勝ちたい」という気持ちだけは消えませんでした。喘息を抱えていたため水泳も並行してやっており、小学6年生からはレスリングに生かせると思い柔道にも挑戦しました。

高校3年生で掴んだ「ゾーン」の感覚

大きな転機になった試合が、高校3年生のときのアンダー20世界選手権予選です。大学3年生の選手たちが並ぶ中、最年少の高校生として出場し、1311で優勝することができました。

試合中、体はへとへとだったのですが「技をかけたら何でも点が取れる」という感覚がありました。相手が2点を積み重ねるたびに自分の4点で返し続けた試合で、後になって「あれがゾーンというものだったのだな」と気づきました。初めて実力以上の力が出せたこの勝利が、レスリングを続けていくうえでの大きな自信になりました。

大学2年生、最大の試練

日本体育大学に進学して練習に励んでいた大学2年生の夏に、人生最大の怪我を負いました。左膝の靭帯を複数断裂し、骨折も伴う重傷で、医師からは「回復まで1年かかる」と言われました。

「このまま続けても意味がないかもしれない」と思い始めていたとき、当時のコーチが「ここで腐ったら何もかも終わりだぞ」と言ってくれました。その言葉を胸に、国立スポーツ科学センターで月曜日から金曜日まで毎日リハビリに取り組み、約半年で復帰することができました。折れそうになった心と体を立て直したこの経験が、選手としての自分を一段と強くしてくれました。

 

銀メダルが生んだ決意、そしてドイツへ

大学卒業後、レスターに入社しました。全日本選手権では通算5度の優勝を果たしましたが、首の怪我で重要な大会を2つ続けて途中棄権してしまいました。目指していた国際大会への道が閉ざされ、「もう辞めようか」という気持ちになっていました。

母親にも「レスリングを辞めたい」と伝え、最後のつもりで臨んだアジア大会でしたが、強豪選手が揃う中で銀メダルを獲得。悔しさが込み上げて試合後に泣きながら親に電話しました。そんな中、高校時代の恩師から「もう少し続けてほしい」という言葉をもらいました。周りの人のためにも頑張らなければいけないという気持ちが芽生え、もう4年間レスリングを続けることを決意しました。

その決意から1年後に、さらに高いレベルで自分を試したいという思いからドイツのプロリーグ(ブンデスリーガ)にも挑戦しました。毎週試合がある中で毎週3~4kgの減量を繰り返し、さまざまな国の選手たちと練習を重ねました。

今、そしてこれから

 

今は相手ごとにどう戦うかという戦術面を重視しながら、練習で日々確かめています。

幾度もの怪我や挫折を乗り越えながら積み上げてきたキャリアはまだ続きます。5歳のころにマットの上で感じた「楽しい」という気持ちと、「勝ちたい」という意志を胸に、これからも全力で挑戦していきます。

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